【偉人伝】ナポレオン・ヒル―「成功哲学」を世界に広めた―
親子で学べる幸福の科学の小冊子 月刊「ヘルメス・エンゼルズ」No.286、 287 より、ナポレオン・ヒルの偉人伝を紹介します。
ナポレオン・ヒル(1883年~1970年)
問題児から新聞記者へ
ナポレオン・ヒルは「成功」に関する数多くの本を書き、多くの企業を発展させたアメリカの思想家です。9才で母を亡くした彼は、子どもの頃は貧しく乱暴で、町の人たちから問題児として嫌われていました。
そんなヒルを変えたのは、10才の時に2人目の母親となったマーサでした。「できると信じれば、何でもできるはずよ。」マーサの励ましでヒルは次第に勉強に励むようになり、15才で町の新聞記者として収入を得るまでに成長しました。この経験で、ヒルは、「強く決心したことは実現できる」ということを学んだのです。
運命を変える出会い
仕事を続けながら、ヒルは「もっと大きな成功をしたい」と願うようになりました。「でも、どうすれば成功できるのだろう……。」そんな時、雑誌記者となった25才のヒルは、ある人物を取材することになりました。それは、貧しい身分からアメリカを代表する大富豪になった「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーでした。
73才のカーネギーはヒルに、成功の秘密を惜しげもなく語りました。(すごい。こんな話は聞いたことがない。)ヒルはたちまち夢中になりました。
そんなヒルに、カーネギーは、思いがけない提案をしたのです。「私が知っているアメリカ中の成功者を君に紹介しよう。私の代わりに彼らを研究して『成功哲学』をまとめ、人々に伝えてくれないか。20年はかかる大仕事になるが、どうかね?」
(20年だって!)ヒルは驚きましたが、同時に運命的なものを感じました。「ぜひ、やらせてください!」
ヒルの人生が、大きく動いた瞬間でした。
【マメ知識】鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの試し
カーネギーはヒルの前に260人以上に同じ提案をして、1分以内に答えた人を採用しようとしていたんだ。合格できたのはヒルだけ。なんと、29秒の速さで返事をしたそうだよ。
世界的名著の完成
ヒルは、雑誌を作ったり会社を経営したりしながら、時間を見つけてはカーネギーに紹介された「成功者たち」に会い、取材をしました。世界的な発明家、トーマス・エジソン、自動車王ヘンリー・フォード―。その数は500人以上に上りました。
そして、成功者が皆、信念や想像力などの「心の力」を使っていることを発見したのです。こうして、1500ページにわたって成功する方法をまとめ、世界的名著『成功の法則』を出版。カーネギーとの約束から20年が経っていました。
成功哲学を世界に広める
ヒルは研究の成果をアメリカ中で講演して回り、50歳になるころには、アメリカで最も影響力のある講演家になっていました。
そのころ、アメリカは歴史上最悪の不況「世界恐慌」に陥り、大きな会社が次々と倒産。アメリカ人の約4人に1人が仕事を失い、国中が「二度と豊かにはなれない」という恐怖に包まれていきました。
ヒルは「アメリカ経済を建て直すには、人々の恐怖を取り除くことが必要だ。」と考え、大統領のフランクリン・ルーズベルトに、演説で国民に勇気を与えるように提案。自ら原稿を書きました。ヒルが考えた「私たちが恐れるべきものは、恐怖そのものです。」という有名なスピーチによって、人々の心から恐怖心が消え、アメリカ経済は息を吹き返しました。
ヒルは、87歳の人生を閉じるまで、本や講演で数百万の人に成功哲学を伝え続け、現在のアメリカの繁栄の基礎を作りました。本は今も、世界中の人々に読まれ続けています。
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問題の答え:『成功の法則』