「自助努力の精神」を持とう【光のことば】
この記事は「ヘルメス・エンゼルズ」No.293 より抜粋・引用しています。
「自分のことを自分でする人」が増えると国が発展する
今回は、「自助努力の精神」について話をしようと思う。これは、「自分で自分のことを助ける。」ということだ(英語では「セルフ・ヘルプ」という)。そういう気持ちを持つことが大切なんだね。
どこの国でも、国が発展する時期には、この自助の精神を持った人、つまり、「自分のことは自分でやっていこう。」と思う人が大勢出てくる。
ところが、国の力がおとろえて、国がかたむいてくるときには、自分のことを自分でできない人が、だんだん増えてくるんだ。
そういう人たちは、「国がめんどうを見るべきだ。」「都や県がめんどうを見るべきだ。」「学校がやるべきだ。」などと言って、何でもほかの人のせいにするのだけれども、自分の責任(※1)のほうは言わないんだね。
こんな人が増えてくると、あるときまでは調子がよくて強かった国も、だんだん下がっていくようになる。
※1責任…自分でやらなければならない務め。
ほかの人にたよる人が増えてしまったイギリス
イギリスという国もそうだ。十七世紀、十八世紀、十九世紀と、グーッと国力が上がっていったときには、「産業革命」(※2)を引っ張っていくような、立派な人たちが出てきた。そういう人たちは、ほかの国にまで、どんどんえいきょうをおよぼすほど、強い光だったんだね。
ところが、二十世紀になってからは、「だれかにめんどうを見てほしい。」とか、「国にめんどうを見てほしい。」とか、ほかの人にたよる気持ちの強い人が増えてきたために、国力がスーッと落ちて、こまったこともあったんだ。
みんながやる気を持って、「自分の力で生きていこう。」と思っているときには、自分の周りもだんだんよくなっていって、人の助けがなくてもやっていけるようになるんだけれども、みんなが弱っていって、周りの人からの助けがたくさん必要な人たちばかりの社会になってくると、ますます、おたがいに悪くなっていくこともあるんだ。
それは、やさしい社会ではあっても、だめになっていく社会でもあるんだね。
「自助努力の精神」を持つ人が増えれば日本が成長する!
日本も、今後、もう一段の発展をしていくことができるか、それともだめになっていくかは、ここにかかっている。
子どもたちが、一人ひとり、自助努力の精神を持ち、「自分は自分でがんばっていこう。」という気持ちを持っているうちは、国は大丈夫だと言える。そういう国家は、まだまだ成長していけるんだ。
「自分にできること」を考える人になろう
立派な人が出てくる時期は、その国が上がっていくとき、のびていくときであることが多いし、また、そういう偉い人が出てくることによって、ほかの人もがんばるようになり、国に力が出てくることもあるんだ。
だから、みんなには、他の人にお願いしてばかり、迷惑をかけてばかりの子どもにはなってほしくないんだ。周りにたよる気持ちの強い子になるのではなくて、「もっと自分でできることはないか。」と考えてほしいんだ。