【三途の川の渡り方】生前の行いによって渡り方が変わるって本当?
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「三途の川」はこの世とあの世の境界線
「三途の川」の話、あなたは聞いたことがありますか?
亡くなった方があの世に行くときに渡ると言われている川のことです。この川は、この世とあの世の境界線のようなもので、渡りきると、霊界の入口に入ります。
世の中には、あの世を信じられず、自分が死んでも、その「死」を信じない人がたくさんいます。
三途の川を渡る行為は、そうした人たちに死んだことを教える儀式でもあるのです。
今回は、その渡り方を見ていきます。
(※本記事は小冊子「夢人間」3号より転載・編集)
さまざまな川の渡り方がある
「この世を去り、川を目の前にした霊人は、「とにかく渡らなければいけない 」 という内なる声に導かれて、川を渡ろうとします。その渡り方一つをとっても、服を濡らしてザブザブと歩いて渡る場合、水に濡れずにスムーズに渡る場合、溺れそうになりながら 大変苦労して渡る場合など、人によってさまざまなのです。
では、いくつかの渡り方を紹介しましょう。
水面を浮いて渡る
橋で渡る
舟に乗って渡る
溺れかけながら渡る
あの世では、この世で生きていたときのお金や地位や名誉などは、まったく通じません。
川を渡るときに、川の中に沈んでいる名刺や預金通帳などを見ながら、この世での執着を捨てなければならないことを学んでいきます。
大事なことは、仏神を信じ、人に優しく思いやり深い人であったかかどうかという、心の美しさです。
こうした心のでき、ふできによって、渡り方に差があるわけです。
あの世での生活にも反映される、この世での心の在り方
老いて、この世にさよならをすることは、悲しいことですが、それは新たな「あの世」という世界での生活が始まること。人間は、霊的存在であり、あの世での生活が本来の世界なのです。
この世は、魂の学びのための学校です。死とは、この世での学びを終えて、あの世に還っていくことであり、本来悲しむべきことではないのです。
この世の生き方、心の在り方によって、「三途の川の渡り方」が決まります。そして、その渡り方の様子は、あの世での行き先や生活を予感させるものでもあるのです。
死後、あなたは、どんな渡り方をしたいですか?
三途の川を前にして、「しまった!」と後悔しないように、普段から、心の執着を取り去り、明るく元気な気持ちで、幸福な毎日を送ることが大切です。
この世で、人に対して優しい思いを持ち、 いつもよいことをしようと考えることが天国に還る条件です。
参考書籍:大川隆法著『霊的世界のほんとうの話。』『永遠の生命の世界』『悟りに到る道』
主エル・カンターレの救いの光―幸福の科学の「供養」
故人を偲び、来世の幸福を祈る供養の心は尊いものですが、その一方で、迷っている故人の霊を成仏へと導くには、正しい霊的知識を知らなければ難しいのも事実です。
主エル・カンターレ、大川隆法総裁は、「どのような心で生きた人が、天国に還るのか」「地獄から天国に上がるには、どうすればよいのか」など、私たちが、この世でもあの世でも正しく幸福に生きるための教えを、数多く説いてくださっています。
すべての人の幸福を願われる、主エル・カンターレの教えから、「正しい供養」のあり方を学んでみませんか?