死後の世界は100%、確実に存在する
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(経典『恐怖体験リーディング』より)
「あなたはタンパク質の塊です。死んだら焼かれて灰になり、意識は消えてなくなります」
このように言われたら、あなたはそれを何の疑問もなく受け入れられるでしょうか。
現代は、死後の世界の存在を否定し、「死んだら何もなくなる」と考える人や、「死んだらどうなるか分からない」と答える人が多数を占めている時代です。
しかし、時代の移り変わりや、科学の進歩には関係なく、死後の世界は確かに存在しています。
私たちの本質とは、単なる肉の塊、タンパク質の塊などではなく、「意識」「思考するエネルギー」こそが、私たちの本質です。
たとえ死んで肉体が焼かれ、灰になったとしても、私たちの本質である「思考するエネルギー」が、プツンと一瞬にして消え去るということはありません。
このエネルギーは、永遠の過去から、永遠の未来へと、存在し続けているものなのです。
死後も私たちの「意識」が生き続けるならば、自分が何らかの「世界」の中にいることを感じ取れるのではないでしょうか。
もし、そうだとしたら、そこには一体どんな世界が展開するのでしょうか。
もし、天国・地獄があるならば、どんな生き方や心のあり方が、死後の行き先を分けるのでしょうか。
もし、今この瞬間にも、病気、震災、戦争などで大切な人との突然の別れに直面したとしたら、それをどう受け止めたら良いのでしょうか。
誰もが一度は持つこうした疑問について、大川隆法総裁は、次のような教えを説かれています。
結論を避ける現代倫理学
東大でも倫理学の授業を行っているというので、「どんなことを教えているか」と、間接的にですがヒアリングしています。
人によって教え方はいろいろありますが、こんなふうに言っているのだそうです。
一般に倫理学というのは、人間としての正しい生き方、人の道を説くものだと思います。東大の倫理学の講義がどのようなものかというと、
「死んであの世があると思っている人と、あの世がないと思っている人がいる。両方がありえる」
「死んであの世があると思っている人にとっては、こういうことが正しいことで、あの世がないと思っている人にとっては、こういうことが正しいことだ」
みたいな感じで、どちらにでも合うような言い方をしているようです。
「どちらでも構わない。どちらでもいい」と、そんな授業をやっているそうです。
(月刊「幸福の科学」2015年7月号「『智慧の法』講義」①より)
事実は一つしかない
しかし、事実は一つしかありません。
80パーセントの事実とか、60パーセントの事実とか、五分五分とかいうことはありえないのです。
確率論の世界で言えば、あの世があるかどうか、こんなことは五分五分かもしれない。
しかし、現実論からいきますと、これは、100パーセントかゼロか、どちらかしかないのです。これ以外の“途中”は絶対にありえないのです。
「あの世がない」ことを証明できた人は過去一人もいない
そして、「『あの世がない』ということの証明に成功した人は過去一人もいない」という厳粛なる事実があるのです。
現に、「無神論」と言い、「宗教を信じない」と言い、「あの世を信じない」と言う人は、現代にはいくらでもいます。けれども、それを証明してみせてくれた方は、私の知るかぎり、一人もいません。
彼らの大部分は、極めて個人的なる反応をします。
「信じたくない」というのが本心なのです。
「あの世がない」というのではなく、「信じたくない」「考えることが怖いから、信じたくない」、それが本心でありましょう。過去、本格的に「あの世がない」ということは証明できていないのです。
その逆に、「あの世の世界がある」ということを証明するために努力してきた方々は、過去の歴史を繙(ひもと)いてみると、いくらでもいるのです。
まず、「すべての宗教家は、この証明のために生きてきた」と言って、間違いがありません。
そして、人類史のなかで、どの時代からも、宗教家がいなくなったときはありません。いつの時代においても、地上には宗教家がいました。
彼らは、神の世界を説いてやまず、あの世の世界を説いてやまず、霊魂の存在を説いてやまなかったのです。
あの世の世界は100パーセント存在する
結論は一つです。
あなたがたは、あと何年か、何十年かの人生を生きることになっていますが、必ず、この地上を去ります。それは100パーセントの真実です。
死後の世界において、あなたがたの意識が残り、考えが残り、判断が残り、人生で得た智慧や経験が残るか否か。それは一つの賭けでしょう。
ただ、私は、この二十五年間、繰り返し繰り返し、訴え続けてきました。
あの世は、100パーセント存在します。霊的存在は、100パーセントの事実です。
(『エル・カンターレ信仰入門』より)
あの世に持って還れるものは心しかない
死んで、あの世に持って還れるものは、みなさんの心しかありません。この世にあるものは、あの世には何一つ持って還ることができないのです。家も財産も服も、この世の学歴も地位も、何であろうと、あの世に持って還ることはできないのです。
あの世に還るときには心一つです。
「心が美しいかどうか。心が清らかであるかどうか。心が豊かであるかどうか」、それのみが問われます。
「天国の門をくぐるときには、この世のものを何一つ持っていくことはできない」ということを知ってください。
(『真実への目覚め』 より)
この世は「魂を磨くための学校」である
この世のものに執着してはなりません。
あの世に持って還れるものは心だけなのですから、これを磨くしかないのです。
この世で起きる、あらゆる事象、すなわち、不幸体験や幸福体験、人間関係も含めた、さまざまな出来事は、すべて、自分自身の魂※を磨くためのものであり、この世には「魂の学校」としての意味があるのです。
たとえ、この世において、どのような不幸が起きようとも、「そのなかを、どう生き切ったか」ということが大事であり、「今世、この世に命を持ったことには意味があるのだ」と知らなければなりません。
(『未来の法』 より)
※魂…等身大の形状で肉体に入っている霊的エネルギー体のこと。意識→霊→魂となるにつれて、だんだんに人間的属性が強くなってくる。その魂の中枢が心である。
この世の人々の多くが真実を知らずに生きている
死後の世界は、苦しかったり悲しかったりする世界ではありません。
もちろん、悪い生き方をした人にとっては、そういう世界であることもありますが、まっとうに生きた人にとっては、この世より、ずっと美しく、ずっと安らいでいて、ずっと幸福感の強い世界です。
「この世に帰りたい」と思う人は、ほとんどいないぐらい、ほんとうによい世界なのです。
しかし、この世の人生は一種の試験であり、一定の期間、さまざまな経験を積むと共に、盲目のままに“実験”をされているのであって、その結果しだいでは、あとで苦しい世界も待っています。
そのため、「真実を知らない」というのは大変なことです。
その真実を、「非科学的な迷信である」「昔の人が信じていた、時代遅れのものである」などと多くの人が思っている現代社会は危険なのです。
現代では、死後の世界を信じていない人が多いので、実際に、死後の世界はかなり混乱しています。
(『信仰のすすめ』 より)
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真理を教わった記憶を持って、あの世に還ってほしい
少なくとも、「どこかで真理を教わった記憶を持って、あの世に還ってください」と言いたいのです。
まったく真理を知らずにあの世に還った人を救うには、大変な手間がかかるのです。
そういう人を救おうとして、当会の指導霊団の霊人が、あの世で話しかけ、まず、「エル・カンターレが」と言うと、「何、それ。知らないよ」と、当然のように言われます。
そこで、「仏陀が」と言えば、「それも知らないなあ」と言われます。
「キリストが」と言っても、「知らないなあ」と言われ、「天使が」と言うと、「昔、聞いたことがあるような気がするなあ」というような返事が返ってきます。
真理を知らずにあの世に還った人は、このようにボーッとした感じなのです。
(『はじめての信仰生活』より)
天国へ還るためのポイント
私は、生きている人だけではなく、亡くなった方々に対しても、述べておきたいと思います。
おそらく、本章を読んでおられるみなさんを通じて、間接的に、縁のある方々に内容が伝わっていくはずです。
(1)貪欲を去る
この世が本当の世界でないならば、この世的なもの、この世で値打ちがあると思われていたものに、あまり執着してはいけません。
執着というのは、あるものに心が奪われて、それ以外のことを考えられなくなる状態です。
そういう執着があったならば、それを捨てなければいけないのです。
貪欲(とんよく)の心、つまり、この世のものに対して「あれが欲しい」「これが欲しい」というような強い思いが残っていたら、やはり、成仏しづらいのです。
あの世に還ったら、ご飯を食べなくても死にません。
「もう何日も食べていない」と思っている人もいるでしょうが、あの世では、魂になっているので、ご飯を食べなくても人間は死にはしないのです。
それから、家も必要ありません。家がなくても生きていくことができます。
暑さや寒さも、本当はありません。心の作用によって、そのように感じているだけです。
さらに、霊になったら、水のなかでも、窒息して死ぬようなことはありません。水のなかだろうと、空中だろうと、生きていくことができます。したがって、貪欲を去ることが大事です。
(『逆境の中の希望』 より)
(2)怒りを捨てる
あるいは、欲求不満や怒りが込み上げてきてしかたがない方もいるでしょう。
自分が助からなかったことに対する悔しさや、救援が遅かったこと、家族が助けてくれなかったこと、隣近所の人や友人等が助けてくれなかったことへの恨み心もあるかもしれませんが、そうした怒りの心を、どうか収めてください。
そういう怒りの心を持っていては、幸福になれないのです。
あなたがたは、本来の世界に還ったのですから、心を入れ替えて、本来の世界での生き方を目指してください。
今、生き残った人々も、いずれ何年後か何十年後かには、この世を去ることになります。
みな、同じような経験をするのです。この世を去る時は、それぞれの人に順番にやって来るのであり、この世でいつまでも生きることはできません。
したがって、この世での生活を奪われたことに対して怒りを持ったとしても、損をするのは自分自身です。
人を恨んだり、その他のいろいろなものを恨んだりしても、自分が苦しいだけなので、怒りを捨てることが大事です。
(『逆境の中の希望』 より)
(3)宗教に対する悪意を反省する
真理を知らなかったために、今、ご自分が迷っているのであれば、その点については謙虚に反省してください。
例えば、生前、宗教に対して悪意を抱いていなかったでしょうか。
また、あなたがたに、真理への誘(いざな)いをしたり、伝道をしたり、あるいは月刊誌を配ったり、いろいろなことをしていた人がいたはずですが、そういう人たちをばかにしたり、軽蔑したり、嘲笑(あざわら)ったり、いじめたりしなかったでしょうか。
もし、そのような経験があったならば、この際、静かに反省してください。
あなたがたは、善意でもって接してくれていた方々を誤解していたのです。
そのことに対して、「申し訳なかった」と思うところから、救済は始まっていきます。あなたがたへの助けが始まるということです。
(『逆境の中の希望』 より)
(4)この世的な慢心から離れる
さらには、この世的な意味での慢心はなかったでしょうか。例えば、「自分は資産家である」とか、「名家の出である」とか、あるいは、「職業的にとても偉い」とか、「いい大学を出ている」とか、「美人である」とか、「権力がある」とか、この世的に自慢するようなことはたくさんあったと思います。
そうした慢心も、ある意味では、すべて、この世への執着にしかすぎないのです。
要するに、この世的なものとの親和性が高すぎるということです。もし、「この世的な評価を得られることが、自分の幸福だ」と思っていたならば、そういうものとは少し距離を取って、謙虚になることを学ぶ必要があります。
(『逆境の中の希望』 より)
(5)疑いの心を捨て、素直に心を開く
遺された人たちも、これから再建に向けて努力しなければならないと思いますが、亡くなられた方々は、どうか、今、述べたような簡単なポイントをよく自覚してください。
そして、あの世での救済活動も始まっているので、どうか、疑いの心を捨てて、素直に心を開いていただきたいと思います。
私たちは、善意から、そういう活動を続けているのです。そのことを述べておきたいと思います。
(『逆境の中の希望』 より)
正しい宗教に帰属していれば、死後の救済がスムーズになる
間違った宗教に帰属するのはよいことではありませんが、どこか正しい宗教には帰属しておいたほうが、死後の救済はスムーズになるということです。
間違っていないような宗教であれば、ぜひとも所属しておいたほうがいいでしょう。
また、幸福の科学の救済力は、本当はかなり高いので、まあ、「名前だけの信者」とか、いろいろいるかもしれませんが、生前、信じて、多少なりともきちんと真理を理解していれば、万一のときの救済がすごく早いのです。
これからも、地震や津波、火山爆発など、いったい何が起きるかは分かりません。あるいは、交通事故や殺人事件のようなものもあるかもしれませんが、やはり、真理を知っていて、信仰心を持っていたら、救いは非常に早くなります。
しかし、「救いの入り口」まで来ていても、それ以上の縁がなかったら、"救済"にはならず、「怖がって逃げる猫」のような感じになってしまうのです。
(『 恐怖体験リーディング 』 より)
天使たちは見捨てず、ずっと見守っている
さまざまなことを述べてきましたが、みなさんは、どうか、「恐怖心の克服」を大事にしてください。
それから、「天使たちはみなさんを見捨てることなく、ずっと見守っている」ということも忘れないでほしいのです。
そして、みなさんには、「"死んでからあとの仕事"もまだある」ということも忘れないでほしいのです。
大事なことは、人生を考えるに当たり、そうした悲劇や不幸を乗り越えていくなかで、「人間としてもう一段賢くなり、人生観を深める」こと、あるいは、「他の人の苦しみや悩みが分かり、他の人を理解できる人間になっていく」ことです。それが「成長」だと思うのです。
人生のなかではさまざまな不幸が起きますけれども、そこに、ある意味での「天の配剤」があるのではないでしょうか。(中略)
そういうこともあるので、どうか、悪い事件も「逆手」に取って、発展への契機にしていくこと、「人生すべて返し技」で生きていくことが大事です。
いずれ100年後には、私もみなさんもこの世には存在しませんから、あの世でもう一段のパワーが持てるように、この世を魂の修行場として100パーセント使い切ることが大事なのではないでしょうか。
(『天使は見捨てない』 より)
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主エル・カンターレの救いの光―幸福の科学の「供養」
故人を偲び、来世の幸福を祈る供養の心は尊いものですが、その一方で、迷っている故人の霊を成仏へと導くには、正しい霊的知識を知らなければ難しいのも事実です。
主エル・カンターレ、大川隆法総裁は、「どのような心で生きた人が、天国に還るのか」「地獄から天国に上がるには、どうすればよいのか」など、私たちが、この世でもあの世でも正しく幸福に生きるための教えを、数多く説いてくださっています。
すべての人の幸福を願われる、主エル・カンターレの教えから、「正しい供養」のあり方を学んでみませんか?