人を殺してはいけない理由。生命はなぜ尊いか?【霊的世界のほんとうの話】
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Q.なぜ人を殺してはいけないのですか?
A.人間は、仏の子、神の子であり、仏性、神性を宿した存在であるからです。
「種の保存」という人類の命題
なぜ、人を殺してはいけないのでしょうか。一つには、人類という種を保存するために、「殺してはならない」という命題があるのだと言えます。お互いに殺し合っていたのでは、種そのものを存続させることができないからです。 しかし、その一方で、食糧を確保するためや、自分たちが他の民族から滅ぼされないために、数限りない戦い、殺し合いが起きてきました。「種を保存する」という同じ目的のために、あるときは、「殺すなかれ」という教えが出、あるときは、現実の政治や軍事のレベルで「他の者を殺す」という動きが出ます。 しかし、「他の者と戦い、それを殺す」ということが、「民族を保存する」という観点から、ある程度、許容されるとしても、「人類愛」という、もう一つ大きな観点からは、釈然としない思いが残ります。 それは、「同じ人間として耐えがたい」ということでもありますし、さらに、それをもう一段超えて、「仏の心、神の心から観て、耐えがたい」という思いもあるわけです。
人間は神の子である、という事実を認められるかどうか
なぜ、人を殺してはならないかーー。その根本には、「人類は根本の仏あるいは神から分かれてきた」「人間は仏の子、神の子である」という事実があります。 「人間は動物の単なる進化形であり、根源をたどれば、タンパク質などでできている、多少の神経作用の集まりである」というような考え方を肯定してはいけないのです。 科学的探究としては、そういう考え方もあると思いますが、「それのみが真実である」としたときには、「殺し合うなかれ」という教えも、単に、「お互いに機械を壊さないようにしよう」という程度の話になってしまいます。そうすると、殺人罪と器物損壊罪とは差がなくなりますし、人権なるものも、「ロボットとして共存する範囲を決めよう」ということにしかなりません。人を殺すことは、物を壊すのと変わらないことになるのです。 「人を殺すなかれ」という教えを追究していくと、結局のところ、「人間とは何であるのか。生命とは何であるのか。人生とは何であるのか」という、根本の部分に行きつかざるを得ません。その根本の部分に、肉体的に現れたものを超えた「尊いもの」を認めるか否か、ここが大きな分かれ目です。
人を殺すのではなく、愛し合って生きるべき理由
「人を殺すなかれ」という教えは、根本的には、「人間は、仏の子、神の子であり、仏性、神性を宿した存在である」というところから出ています。そして、それが、「人は互いに愛し合うべきである」ということの根拠でもあるのです。